Koike's Lemma

ITやビジネスに関する雑記

中年の危機を乗り越える

昔所属していた会社の同僚が面白い記事を書いていたので、自分も便乗して同じテーマで書いてみようと思う。
その記事は「中年よ、危機を超えてゆけ」というタイトルで、内容としては、年上の方から「37歳を超えるとね、一回、アイデンティティが揺さぶられるのよ。それは絶対来るから、覚悟しておいたほうがいい。」と言われた筆者が実際に37歳になった時それをどう乗り越えたかを書いたものだ。
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自分は既に40歳を超えているが、確かに30台後半にアイデンティティを揺さぶられたことがあったと思う。
その際に自分がどのようにアイデンティティを揺さぶられて、どう乗り越えていったのかを書いてみようと思う。

アイデンティティはどう揺さぶられたか?

アイデンティティに関して不安になったことの一つめは、自分が他の人に対して示せるようなラベル(自分を特徴づけるキャッチフレーズのようなもの)がないということだった。
自分は大学院を卒業後、組み込みエンジニアになったが、その後、転職してカーナビの経路探索プログラムを開発したりして、そのあとは会社を辞め、34歳で博士課程学生になった。
しかし、それらのどこの部分を切り取っても、ラベルとしては弱い気がしていた。
もうすぐ40歳になろうとしているのに何者でもなくて大丈夫なのだろうか?
そんな漠然とした不安を持っていた。
さらに私生活でも、結婚していないことで「夫」というラベルを手にすることができなかった。
「夫」というラベルがなくてもこの先生きていけるのだろうか?そんな不安もあった。

もう一つ不安になったことは、30歳台後半になって体力の低下を自覚するようになってきたということだ。
体力の低下は自分が人生の後半戦にいることを強く自覚させる。
職業人としての勤労年数も定年までの半分近くに到達し、その意味でももうすぐ後半戦になろうとしている。
何かを成し遂げた実感がないまま、後半戦になってしまうという感覚があった。
これまでと同じくらいの期間働いたら自分の職業人としての人生が終わる。
後半戦は前半戦と比べて優位な点はあるだろうか?いや、ない。むしろ体力がさらに低下し辛いことになりそうだ。
あぁ大きな喜びを得られない人生だったなぁ。
そんなことを思っていた。

アイデンティティが揺さぶられた結果どうなったか?

結果として中年の危機(ミドルエッジクライシス)というような危機的な状況にはならなかった。
回避できた要因として、自分の視野が広くなったというところが大きいと思う。そのことについて詳しく書いてみたい。

まず、自分につけられるラベルのようなものに対する過度な偏重がなくなった。
確かに適切なラベルを保有することで攻撃力も守備力も上がるし、あるラベルを取得したい(例えば資格を取りたい)という願望は短期目標として非常に優れている。
しかし、それらは目的でなく手段であると割り切れるようになった。
若い頃はこのようなラベル自体に自分を同化させているようなところがあったと思う。
「いいラベルを持てば持つほど自分の人生の幸福度がランクアップする」と信じていたのだと思う。
今はそういった信仰はなくなり、「これをするにはどういうラベルを持つことが役立つのか」という風に少しは冷静に考えるようになった。

ちなみにこのような変化は急に起こった訳ではない。
自分の考え方を大きく変えるきっかけになったのは、「史上最強の哲学入門-東洋の哲人たち-」という本だ。

この本は東洋哲学の入門書であるが、自分はこの本を読んでから「自分を客観的に見る視点」がだんだんと強化されていくようになったと思う。
そのおかげで自分の中で条件反射的に判断される損得勘定に対して「本当にそうかね?」と自問自答できる機会が増えたように感じる。
小さな例で言えば、スーパーのレジで自分のレーンの進みが遅くてイライラしていたとしても、「別に損してないよね」と突っ込んでくれる。
同様に不必要に自分自身のラベルにこだわる自分に対しても、冷静に考えろと突っ込んでくれるのだ。

視野が広くなったもう一つの要因として、30台後半に環境の変化が頻繁にあったことが挙げられる。
駐在するキャンパス(オフィス)が頻繁に変わり、様々な人から良い刺激を受けた。
その結果、幸せや喜怒哀楽はコミュニティの中に存在するのかもしれないという考えを持つようになり、「自分のステータスのみが自分の幸せを決める」という考えを全否定することになった。
また、コミュニティにより価値観が全く異なるのだという実感を持つことになり、これは自分の息苦しさを大幅に軽減させることになった。
これまで世の中に対して抱いてきた不安や不満は実は世の中に対するものでなく特定のコミュニティに対するものであり、別のコミュニティに行けば全く異なる状況かもしれない。
そう信じれるようになった。

まとめ

ということで、アイデンティティを揺さぶられた時に自分の中に起こったことは、視野の広がりとそれに伴う価値観の変化であり、それによりクライシスのようなことが起こることはなかった。
これまでの考え方はワンパターンすぎたのだ。
いいラベルゲット→いい成果ゲット→幸せゲット
みたいな感じで、自分の殻の中に閉じこもった考えをしていた。他者を排除した考え方こそが袋小路の中でアイデンティティを見失っていく原因だったのだ。
もっと世の中を見よう。家から飛び出そう。様々なコミュニティとの相互作用の中に新しい喜怒哀楽が埋まっている。
そう思えるようになった。

本記事のネタ元の記事では「それぞれのやり方で対処し、クライシスを乗り越える…そんな、未来の中年たちを救いたくて、本記事をしたためた」という風に締められていた。
この記事でも「それぞれのやり方」の一つを紹介してみた。これが「それぞれのやり方」を見つけるための参考になればいいなと思っている。